なぜメモを書くために複雑なツールを学ばなければいけないのか?私はかつてNotionに夢中になり、その素晴らしさを人々に伝えてきた一人だ。だからこそ最近流行しているObsidianやCursorの使いこなし術に違和感を感じる。もちろん、それらを否定するつもりはない。便利であることは分かるし、実際に支持されている理由もあるのだろう。ただ、根本的に問い直したいことがある。
「メモを書く」という行為に、本当に学習が必要なのだろうか?
そもそも「メモ」とは、人間が自分の脳の外側に情報を書き出し、思考の整理や記録を目的として簡単に書きつけるものであるはずだ。つまりメモはシンプルであるべきで、書きたい時に即座に書けるものである必要がある。しかし、Cursorを開いてから新規ファイルを作り、マークダウンを意識して、フォルダ構造を決めて……そんなステップを踏むことは本質的に不自然ではないか?
メモという本質的にシンプルであるべき行動に、わざわざ複雑なツールを介在させる意味がわからない。それどころか、複雑なツールの使い方を覚えるために有料の教材を買う、時間をかけて学ぶ……それこそ本末転倒ではないだろうか。自分のアイデアを書き留めるために必要以上に手順を踏むことは、むしろ創造性を削ぎ落としてしまう。
本当に必要なのは「人間がただ書くだけでいい」ツールであるべきだ。そしてそれ以外のことは、今の時代であればAIが担当するべき領域だと考える。
フォルダ構造?そんなものをわざわざ人間が考える理由はどこにあるのだろう?ドキュメント管理術?それを覚える時間で、もっと価値のあることができるはずだ。人間は自分の専門性を磨くべきであり、メモの整理などという作業に脳のリソースを割く必要は一切ない。
私が目指しているのは、エンジニアやITに慣れた一部の人々だけが使える高度なメモツールではない。世の中の大多数を占める、エディタを開くことにすら苦手意識がある普通の人々でも、何も意識せずにメモを書き、AIが勝手に分類し、整理し、視覚化するという、徹底的にシンプルなツールなのだ。
複雑で高度な管理方法を学ぶのではなく、AIにそのすべてを委ね、人間はただ書くだけに集中すればいい。私の思想は明確だ。
メモを書くために難しい操作はいらない。
学習もいらない。
ましてや有料のマニュアルなど論外だ。
人間の創造性と生産性を高めることに、本当の価値があるはずだからだ。
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